大好きが毀すもの
041:嘆きの破壊者
寝台から立ち上がろうとした際の重石に目をやる。朝比奈。呼びかけに返事はない。藤堂の腰へ腕を巻きつかせてぶら下がっている。各々が好きに過ごす時間帯でも朝比奈が藤堂のそばへ居ることは多い。その所為か放っておいて読書や作業に耽った後にこういうことがよく起きる。立ち上がろうとして思わぬ引きがあってつんのめりかける。始めのうちこそ構え構えと文句を垂れていたが何も言わないからと放っておくのが裏目に出ている。髪を引っ張られて涙がでるほど痛い思いをしたこともある藤堂だが、何故だか藤堂の方でも見落としが多い。朝比奈との付き合いは旧い。軍属の傍らに師範として道場へ顔を出していた頃からのものになる。年少も年長もよく回るその口先で嘲弄し、やり込める朝比奈は諍いも多かった。戦闘力が低くないのも拍車をかけた。藤堂の仲裁が必要なことも増え、藤堂はその度に朝比奈をこんこんと説いた。諍いが減り始めたあたりから朝比奈が藤堂へくっついてくるようになった。懐くものを邪険にしない性質であるから良いことであるとして特に注意もしなかった。
気がついた時には藤堂の私邸や私室の合鍵、通信機器などが網羅されていた。気まぐれに始めたものであってもすぐに真似される。気づけば共有の話題になっている。
「…省吾」
ぴく、と朝比奈が揺れた。聞こえてはいるようだな。朝比奈が藤堂へ抱きついて顔を伏せているときは扱いに注意がいる。処理しきれない何かを抱えていることが多い。下手を打つと藤堂にまで被害が及ぶ。腹立たしいのだと苛立ち紛れに抱かれたあれは合意の上とはいえないようなものだった。朝比奈の扱いが難しいのは同じ対応をしていると思うのに可否があることだ。その時時の朝比奈の機嫌で変わってしまう。猫の気まぐれ子供の理屈。もともと人の扱いが上手いとは思っていない。藤堂はひたすら耐えるだけだ。裂傷が走るほどの打擲を受けたこともある。後日土下座された。
「今日は…どうした」
「鏡志朗さん、あのね」
朝比奈が掴んで突き出してきたのは懐中時計だ。きょとんとするのを朝比奈が当然のように言葉を続けた。探してたでしょ? そういえば数日前に朝比奈にも訊ねた。藤堂は物持ちがいいほうで修理や修繕を繰り返して使う。愛着があるというよりは新品がなじまないのだ。それでも見当たらなくなる時はある。見当たらなく慣れば探す。朝比奈を筆頭にした四聖剣の面子は藤堂の私的なスペースにも入り込むから彼らに聞く。どこかでなくしたと思うのだが見かけなかったか。珍しげな顔をされて知らないと言われる。藤堂もそうかと返事をして終わる。
「見つけてくれたのか」
「この間隠れ飲んだでしょ? そこにあったんだ。持って行かれちゃってなくてよかった」
「鼻が利くものだ」
くすりと笑う藤堂に朝比奈は顔を上げて満面の笑みを見せる。後はね、この間話していた資料は。ペンがないって言ってたでしょ、あれはね。ハンカチのあり方はさ。剃刀なんかさぁ。刀の打ち粉が手に入りそうですよ、あまり手に入らないって言ってたから。
つらつらとよどみないその羅列に藤堂の思考が冷えていく。朝比奈のあげる中には藤堂自身が記憶に無いものまである。そんなことを朝比奈に私は問うただろうか。黙る藤堂へ朝比奈はさらに言い募る。朝比奈が喋りあげる情報は藤堂の私室の内容を余すことなく網羅し、また微塵も相違のないものだった。私はお前にそこまで話を? え、いやだなぁ。唐突に朝比奈の手が藤堂の脚の間を鷲掴んだ。握りこまれて動けなくなるところへ伸び上がった朝比奈が唇を重ねる。
「オレが、藤堂さんについて知らないことなんてあるわけないでしょう」
あっちゃいけないんだ。まさぐるように朝比奈の手や指は藤堂の脚の間に蠢き、下腹部を撫でまわす。鏡志朗さん、どうしたの。なにか怖いことでもあったの。小さくなっちゃってさ。野卑な言葉と裏腹に朝比奈の顔立ちは幼く知性を感じさせるものだ。そのまま寝台の中へ引きずり込まれた。
そんな顔しないで。見たくないよ。固い鳶色の髪を掴まれ、俯せに抑えこまれた。純粋な戦闘力で言えば朝比奈に負けるとは思わない。凍りついていく思考と感情が藤堂の動きを鈍らせ意思を殺いでいく。脚の間をくぐらせた手は執拗になぶる。ベルトは乱暴に解かれ着衣は荒々しく引き剥がされていく。髪ごと頭部を押さえる朝比奈の手は弛まない。やだなぁ手がもう一対欲しいな。怖がってる鏡志朗さんなんて滅多に見れないでしょう。せっかくだから堪能させてくださいよ。何の前ぶりもなく指が突っ込まれる。排出しようと動く胎内を切り裂くように朝比奈の指は強引だ。
「面倒くさくなっちゃった。鏡志朗さん、挿れるね…」
硬い爪が内壁をえぐってから退く。息をつく前に朝比奈の刀身が一気に押し入ってくる。
「ぁ、が…――…!」
腹の奥からこみ上げる吐き気に背筋が震えた。びっしりと立つ鳥肌がそれを示す。
「すぐ慣れるから大丈夫。鏡志朗さんに出来ないことなんて無いから」
くっくっとした笑いは喉へこもっている。時折息継ぎのように切れるのは小首を傾げるからだ。引き抜かれた分だけ藤堂の胎内は閉じようとする。そこを再度の突き上げがこじ開ける。藤堂は何度も澱を吐いた。吐瀉物に汚れた頤や敷布へしみた吐瀉物へ顔が埋まる。かひゅ、とかすれた吐息に震えても朝比奈は律動をやめない。藤堂の口元が震えた。飲み込む余裕さえなく唾液があふれた。粘ついたそれが糸を引き、藤堂の開きっぱなしの唇の上下をつないだ。
「…か、は………――ァ、い、たい…!」
もともと交渉のための部位ではない。突き入れられるどころか開かれるだけで負荷がかかった。本能の反射と強引な行為にせめぐのは藤堂の自我だ。朝比奈どころか藤堂の体さえもが藤堂の制御から逃げようとしている。
「ア、ァ、あ、ぁう…――」
「鏡志朗さん痛いの好きでしょう。オレ、鏡志朗さんの好きなモノならなんだって知ってるんだから」
かすれた息を吐いて藤堂の手が敷布を掴む。ぎりぎりと音がするほど力の入ったその爪を朝比奈に突き立てることだけが出来なかった。
灰蒼の双眸が霞む。眇められたその目縁に涙が浮かんだ。潤んで揺れて瞬く。朝比奈から見えるわけもなかった。
私が悪いのだ。私が至らぬのだ。藤堂の思考はいつもそこへ帰着し、先に道はない。藤堂のことについて朝比奈が知らないことは何もなかった。文字通りなかった。藤堂の私物の置き場所どころか、朝比奈が同席していない折での会話の内容までさらわれていた。朝比奈は何度も乱暴に藤堂の体を拓き藤堂さえも知らなかった虚を探り当てた。体の主権は完全に朝比奈にあった。惑い慄える藤堂に朝比奈は優しく言った。オレがいるから大丈夫です。働きかけられれば応じてしまう。朝比奈の行動はどんどん傾いていく。笑顔で後をついてくる年少に恐怖を感じたのは初めてだった。緑青の双眸を半ば閉じたような目線が何度も藤堂の肩や背中へ突き刺さる。視線を感じて首筋へ手をやることが増えた。据わりが悪い。朝比奈の存在はひどく扱いに困る。お前の道が違うのだと言っても藤堂にも真っ当な道など判らない。軍属として戦闘場面や交渉の折に揺らぐことはない。揺らいでいては商売にならない。厄介なのは朝比奈はそれを踏まえてわきまえ、藤堂の私的な場所ばかり確実に毀していく。壊された藤堂はひたすらその破片を拾い集めた。拾ったところでつなぐことも出来ない。拾わずにはいられなかった。
整然とした無軌道や逸脱は藤堂を相手にした場合にのみ発露した。対応や責任までもが藤堂一人にのしかかる。当の朝比奈が感じないところにまで引け目を追う。性質悪く、けれど藤堂ははねつけられない。朝比奈の侵蝕は激しい痛みを伴う。見せたい面があるように見せたくない面がある。それは自尊であったり気遣いであったりした。きれいなばかりではない。醜悪で嫌悪と憎悪に満ちてそれでも切り離し捨てることさえ出来ない深部を。朝比奈はそこにまで踏み込んでくる。藤堂の喉奥で悲鳴や絶叫は摩滅して羞恥や痛撃に耐えた。鏡志朗さんのことはなんでも知ってなくちゃいけないと思うんです。耐えることが悪手であると判っていても藤堂は耐える以外の術を知らない。口にして言えばいいと思うのに言葉はあてどなく膨張して霧散した。
「鏡志朗さん、なぁに?」
気怠い体から意識を切り離したかった。枕を譲る代償として朝比奈は藤堂の胸部へ頭を乗せていた。汗ばんだ火照りから体は冷えていく。朝比奈の眼鏡がカツンと触れる。熱も冷たさもないそれは無機物の無愛想でなじまない。
「何かあるでしょう。鼓動が乱れてる。速かったりゆっくりだったり」
なんでもないような顔をして朝比奈は藤堂を抱く。それが当たり前なのだと言って藤堂を押し倒す。だって鏡志朗さんは女だから。認識も理屈もわからなかったが覆すつもりがないのは伝わった。
「省吾、私は…――」
見上げてくる緑柱石の双眸。サラリと撫でる緑青の短髪。眼鏡の硝子に曇りもない。幼く上気した肌に眉上から頬骨まで走る傷は肉色に浮かび上がる。見据える双眸に全て見透かされているようで。藤堂がこういう問いを発することさえ朝比奈は識っているのではないかとか。その答えや。結末や。ことごとくを掌握された藤堂の中で純粋に藤堂だけのものであるものは数えるほどしかない。
「どうしたの。鏡志朗さん。なに?」
小首を傾げる仕草は愛くるしくて、けれど故意だ。朝比奈は優秀だ。自分がどう見えるかを識っていてその上でそれに沿う行動を取る。お前は何故私のことを。
好きだからですよ? オレは鏡志朗さんが大好きだから。ひたひたとした何かが藤堂の末端へ触れてくる。波打ち際のように触れては離れていく。身動きの取れない藤堂はいつかそれに埋まると思いながら徐々にかさを増していく推移を見つめるしかない。踝を濡らすそれが膕を浸し、喉元で揺れても藤堂は動くことさえ出来ないのだ。
「だって好きなんだもん」
見えているだけなんて嫌
触りたい
だから
「ほんとうにそこにあるかどうか壊してみることにしたんです」
清々しい笑顔は好青年だ。投げつけられた言葉に藤堂の反応は遅れた。省吾?
「すき、なんです」
貴方に触れたくてだから貴方を砕いて破片に触れたかった。
悦びも嘆きも好きも嫌いも全部
「そこに在るって判るために全部全部壊したい」
頬をすり寄せてくる朝比奈は嬉々とした微笑みを浮かべて。
濁った双眸と裂けるような笑みが。
「判らないって泣くくらいなら、オレは全部を壊して解体して確かめたいんだ」
「あいしてる」
藤堂は目蓋を閉じた。応えも言葉も無い。
お前はいつ私の腹を開くのだろうな?
《了》